2009年05月02日 17:29

『ラスト・ノート』

シュッ…
弾けとび混じりあう色香。

何年かぶりに空気にさらした香水からは、夜の香りがした。

あの頃の私がずっと愛用していた香水。

赤いハート型の小瓶の中で揺らめく妖しい女の色。

少し甘めでキュートなセクシーさをもった香り。

女らしさを求めていたあの頃の私の精一杯の背伸びの証。

「前から言おうと思ってたんだけど…」

昨日、会社の同僚から突然そう切り出された。

ほぼ同期で入社した、ほぼ同じ年の爽やかなオトコマエ。

入社してから3年半、仕事に明け暮れる毎日の私には素敵な切り出しだった。

「なぁに?」

昼食後のまったりした空気のデスクで、私は身を乗り出す。

あ~。

化粧直ししといてよかった。

「キミって、スイカの匂いがするよね」

ハァ!?

スイカァ!?

…と思ったことが顔に出たのだろうか、同僚は慌てて続ける。

「いや、なんてゆうか…スイカ?てゆうか…瓜系?みたいな」

内容的にあまり変わってないんですけど…。

私は心当たりのある部分を自分で匂ってみた。

手首には今朝つけたばかりの香水が残っている。

…スイカ?

自分では完璧にフルーティーな爽やかさを狙っていたのだけれど。

…よりによってスイカ。

しかも使いはじめて3年以上もたってからスイカ…。

プシュ
…と、久々のときめきも吹っ飛んでいった。


最近好んで使っている柑橘系の香水。

トップノートから変化をとげるミドルノート…。

どうやらその部分の香りがスイカらしい。

つけたては鼻をくすぐるフレッシュな香りなのに、しばらくすると私はスイカ女に変身しているのだ。

…知らないうちに。

気になって他の人にも聞いてみたけど、誰もが同じ反応だった。

「…言われてみればそうよね」

…それって、いい匂いなのかあまり高感度よろしくないのかわからなくない?

…というわけで、さっそく前まで使用していた香水を引っ張り出してみたのだ。

スイカ女よばわりされちゃ、あまりいい気分ではない。

アトマイザーに少量入れ、左手首に吹き付ける。

そこから右手首と合わせ首すじへ。

甘く鼻孔を刺激するやわらかな香り。

それを感じた途端、いいようのない切なさが胸を支配した。

頭の中に蘇るのはあの時の…。

思い出したくないからと閉じ込めてきた過去。

それはじわじわと波のようにやってきた。

私は立ち尽くす。

1つ、1つ。

あの人がよみがえった。

自分でも忘れていた情景が次々と浮かんでは消える。

…この香りの中、隣で眠っていたのは誰だったのだろう?

指をからめ、愛を誓ったあの人。

今は空白の胸の中にいた、あの人。

振り向いてほしくて、
抱きしめてほしくて。

精一杯背伸びしていた。

過ぎ去ったあの時間。

私はそこで初めて知った。

この香水を封印したのは、あの人がいなくなったからだったんだ。


「キミ、今日なにか違う」

出勤した私にオトコマエが言う。

「そうかな?」

決してあなたに言われたからじゃないわよ。

なんて思いながら自分のデスクに向かって今日のスケジュールを確認する。

そう。

ここにいるのは色褪せた過去を見つけた私。

あの頃の自分と対話して、無理矢理封じ込めていた過去とようやく向き合えた気がするの。

時の変化に伴って、女は香水やメイクを変えていくものなのね。

あの頃よりは…いい女になれているかしら?

甘い甘いピンク色。

それは私だけの夜の香りだった。

■今月はエッセイ風物語でお送りします。

清く恋しく、美しく