2009年05月02日 18:39

『禁 煙』


「禁煙しようと思う。」

アパートの一室で、僕はできもしない事をサラリと言ってみた。できるだけにこやかに。

 目の前の彼女は、信じられないような目で僕を伺っている。

 それもそのはず。だって…。

「そのセリフ、何回言った?」

 予想通りのリアクションに僕は少し満足した。だがこれからが本気モードなのだ。

「いや、お前の言う事はよくわかる。確かに何回も言ったさ。
…5回いや10回ぐらいかな。でも今回は前とは違う!」

「…なんなのいきなり。」

 余計不信感を煽ったのか、彼女の視線は冷たい。まぁ聞いてくれているのでまだマシな方だが。

「僕の友人は『タバコをやめたくなる本』を読んで本当にやめられた。」

「…それ、どんな本?」

 聞くところによると、タイトルはそのまま『タバコをやめたくなる本』。

一見絵本のようなカバーで、開くとただひたすら3Dのイラストが並んでいるものらしい。

それを見つめているとアラ不思議。吸いたい気持ちが現象していく…というのだ。

「…そんな怪しげな本を読みたいの?」

「いやそれは例えで…そうそう僕の上司は奥さんが妊娠した時にやめたらしいよ。母体に悪いからってさ。」

「へーいい旦那さんね。」

「だ、だから……。」

 僕は少し上目遣いで彼女を見やる。

「僕もやめる事にしたんだ。」

 キッパリとこれは決まった。うん。男らしい!

得意気に次の言葉を待っていると、今度はなぜか訝しげな目で見られた。

「・・・・・・意味がわからないんだけど。」

「だ、だからっ!」

 反応にガックリしながら僕は高鳴る胸の鼓動をおさえつつ、テーブルに身を乗り出した。
たぶんマンガにすると美少女系なキラキラおめめになっていたであろう。そして言った。

「出来たんだろ?僕らの赤ちゃんが!だから僕も禁煙するって事!」

 今度は間髪入れず白い目で見られた。

「何の話?」

「え?」

 きょとんとしたのは僕だった。

「…見たんだよ…ゴミ箱に…その…検査薬…。」

 昨日はゴミの日だった。

出勤しようと慌てていたら、運悪く玄関に置いてあったゴミ袋につまずいた。

キチンと口が閉じていなかったらしい袋からはゴミが…。

その中に発見したのが妊娠検査薬だ。僕は慌ててその箱を拾い上げた。

中には使用済みの検査用スティック。そこに開いていた小窓を除くと、青い縦線が浮かんでいた。

もちろん説明書を見た。おめでたという事だった。

 間違いない!

 彼女の顔が見る見る赤くなった。まさか僕がすでに知っていたなんて思いもしなかったのだろう。

彼女の事だ。一人で悩んで言い出せずにいたに違いない。

 だけど僕は薄情な男じゃない。一日考えて結論を出したのだ。

「…僕はまだ社会人になったばっかりで収入も少ないし、部屋もこんなボロアパートだけど…お前の事はキチンと……。」

「ちょっと待って!」

 僕のスピーチを彼女のしっかりとした声が制した。顔を上げると、彼女は落ち着いた表情で僕を見つめていた。

 な、なんだ?こんな時にドキドキしているのは男だけか?

「そのことで話があるの。」

「な、なに?」

 低いトーンでそう言われ、僕の頭の中は一瞬にしていろんな妄想が走り出す。

まさか僕との子じゃないとか違う人との間に出来た子だとか。(あ、一緒だった)

 するとそんな僕の暗い心を知ってか知らずか、彼女は一瞬躊躇してから次の言葉を放った。

「私ね、子供が出来にくい体らしいの。」

「…………は?」

 予想もしなかった言葉に僕は口を開けた。

「だから…ありえないとは思ったんだけど、その…女の子の日が遅れてたから、ちょっと期待しながら試してみたの。」

「だ、だってだって陽性って出てただろ!」

「うん。あれは…。」

 モゴモゴと言いにくそうに彼女はうつむく。

「な、なに?」

 今度は何があっても驚かないぞ。

「あれね…本当はヨコセンが出てたんだけどさ、腹立って水に漬けたら…なぜかタテに変わったの。」

「はぁ!?」

 一気に気が抜けた。身を乗り出していた僕はそのまま机に突っ伏す。

すると頭の上から申し訳なさそうな彼女の声が降ってきた。

「私だって期待してたんだよ。でもこんな体だなんて今まで言えなくて…。」

 最後あたりは泣き声になった。慌てて僕は顔を上げ、なんとか笑みを作ってやる。

「いーじゃんか!きっとまだ時期じゃないんだよ!これからさ、ちゃんと結婚してそれから子供を作ろう!」

「でも…。」

「不可能なことなんてない!よく聞くよ。不妊症の人が妊娠に成功したって!な?」

 僕が向こう側に回り肩を抱いてやると、彼女はそのまま泣き出してしまった。

正直僕の頭の中は混乱していたが、彼女が幸せそうに笑い、そして泣くので不安なんかどこかへ消えてしまった。考えるのは後にしよう。

 僕が最初に描いていたストーリーとは全く違う結末。これだからこそ恋愛は楽しいんだろう。

「…でも、せっかくだから禁煙して。」

「…は、はい……。」

 でも、墓穴。

END


LEMON ANGEL PROJECTで婚活